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■第8話:いよいよ、バンド活動開始!ちなみに楽器は・・・

 東京に戻って来て、1年間、所謂浪人をしていた訳だが、元来楽観主義者である為のんびりしたものだったが、多少の心配もしないではなかった。何しろ高校の3年間は寺で仕事をしていた為、全くと言っていい程勉強というものをしていなかったのである。将来何をするかとか言う以前に、東京に自分の学力で入れる大学があるのか。大学に入れなければ話にならない。2年も3年も家でブラブラと浪人をしている訳にもいかない。入学の簡単な学校は概して授業料や入学金も高いので、偏差値のレベルをあまり落とすことも出来ない。これは困ったことになったぞ、と思ったので、一応何となく勉強はした。しかしここの奥底で、そのうち何とかなるだろうと思っていたのも事実だ。楽観主義というか、本当にバカである。結局は1年間の浪人の後、大学に入れた訳であるが、正に幸運というべきであろう。しかも私が入学した和光大学は、今はどうだか知らないが、当時は日本の私立大学の中でも1,2を争う授業料の安い大学だったのである。(因みに、和光大学のすぐ隣にある玉川大学は、医学、歯学系を除く私立の大学の中で、日本一授業料の高い大学として有名だった。今はどうだかは知らないが。)和光大学を受験した理由は他にもある。試験及び合格発表の日程が、とても早かったからだ。浪人という中途半端な状況から一刻も早く脱出したかったのである。そして和光大学の人文学部藝術学科に入学することが出来た。ただし、これは入学してから知ったことだが、和光大の人文学部藝術学科を卒業した学生の就職率は約30%。つまり卒業してもマトモに就職する奴は10人のうち3人、残りの7人は大学を出ても真っ当な職にも就かず、ブラブラしているらしいということであったが、初めて聞いた時には少々驚いたものの、元々サラリーマンになる気は無かったので、仲間が増えたような気がして、喜ぶ始末であった。そして、どうせマトモに就職しないのであれば、この際好きな事というか、面白そうなことをやろうと思ったのである。自分が、10人のうちの7人の中のひとりになるであろうという予感は十分していたのだ。
和光大学は、1年生から専門課程の授業を受けることが出来た。つまりゼミに入れるのである。私は日本画のゼミに入ろうと思った。日本画のゼミに入って水墨画を書きたいと考えたのだ。中学生の頃から水墨画が好きで、団扇に自分が書いた山水画を貼ったりしていたのだが、これでもっと上手に描けるようになるだろうと思い、早速日本画のゼミに見学に行ったのだが、行ってみて驚いたのは、教授や学生が描いているのはまるでミロやマグリットのような抽象画ばかりである。これでは日本画の絵の具を使って描いたというだけで、油絵と変わりがないではないか。私は、鳥の子の和紙に墨が滲んでいるような絵を描きたいのだ。その上、ほんの数グラムしかないであろうと思われる小さな瓶入りの絵の具が5000円もするというのである。殆ど油絵にしか見えないような傍らの絵を見て、一体絵の具代にいくら使ったのだろうかと呆然としてしまった。これでは無理だと思い、日本画をやることは諦めて、理論の方、つまり日本絵画史のゼミに入る事にした。(今書いていて思ったのだが、音楽をやる事にも日本画をやるのと同じくらい金を使ったような気がする。)

 急に話は変わるが、今、家にあるオーディオセットのうち、ステレオのアンプは、まだ高野山に居た時に買ったアンプである。東京に帰る年の1月(だったと思う)に、山岳部員の友達に背負い子を借りて大阪の日本橋へ行き、スピーカーと共に買って担いで帰ってきたのだ。今考えてみれば、どうせもうすぐ東京に帰るのだから、東京に帰ってから買えば良さそうなものだが、当時の私は何を考えていたのだろうか。それはともかく、程なくレコードプレイヤーやカセットデッキも揃えた。ベースを始める前からステレオセットは持っていたのだ。しかし、いくらレコードプレイヤーがあっても、レコードそのものが無ければ音楽を聴くことは出来ない。そこでレコードを買ったのだが、私は生まれて初めて自分の金で買ったレコードは何だと思いますか?なんと(という程でもないかも知れないが)『かぐや姫さあど』というLPレコードである。B面(という言い方も懐かしいですね)の1曲目に有名な『神田川』が入っているやつだ。しかし(というか何というか)2枚目に買ったのはフォーカス(オランダのプログレバンド)の『ハンバーガーコンチェルト』である。これはややマニアックなバンドだから知らない人も居るかも知れないが、今でも大好きなレコードだ。因みに、これを買うように勧めてくれたのは、前述の寮で同室だった吉本君である。

 さて、この辺から前回の話の続きになる。私もとりあえず大学に入学し、芋生君も東京に出て来た。そして私に連絡があり、バンドをやろうと言うのである。そこまで言うのならやってみようという事になったのだが、問題は楽器は何をやるのか、という事だった。芋生君と、前に書いた牧田君とやるのだが、彼らは2人ともギタリストである。ギタリストとして私が出る幕はない。そこで私は考えたのだ。小さい頃、グループサウンズが一世を風靡していた時に「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」が好きだったのだが、中でもジャッキー吉川のファンだったのだ。彼はバンマスでもありドラマーである。そしてモンキーズでも、ミッキー・ドレンツのファンだったではないか。「ドラムをやらせてくれるのなら、一緒にバンドをやってもいい」と、彼らに宣言したのである。実を言うと、私が小さい頃、近所の家にドラムを叩いているドラ息子が居て、当然防音も何もしないものだから非常にやかましい。それで年中文句を言っていたのだが、もしドラムをやっていたら、勿論家でも叩くだろうから、今度は逆にこっちが文句を言われていただろうな、等と考えたのはもっと後の話だ。とにかくそう宣言したところ、「よしわかった。○月○日に部室で練習出来ることになったから、この中の1曲目を叩けるように練習しておけ」と言いながら、彼らは私に1本のカセットテープを手渡した。本当のことを言うと、ドラムなんか簡単に出来ると思っていたのである。先ほど書いたフォーカスというバンドだが、キーボードとギターはムチャクチャバカテクだが、ドラムとベースはそうでもないような気がしていたのだ。「この程度なら俺にもすぐ出来るだろう」とタカをくくっていたのである。スティックを握ったことも無いにも拘らず、だ。モンキーズは勿論、ビートルズもストーンズも曲は聴いたことがあるが、自分の記憶によると、ドラムはそう難しい事はやっていない。なに、すぐに出来るようになるさ、と思ったのだ。全く知らないという事は恐ろしい。この時手渡されたテープには、レッドツェッペリンの1枚目のアルバムが録音されていた。1曲目というのは「グッドタイムスバッドタイムス」。聞いてはみたが、どうやって叩いているのかさっぱりわからない。曲の最初の方でストトストトと鳴っているのはバスドラだという事まではわかった。しかし足でもって、どうやったらあんなパターンが出来るのか。これは大変だぞ、と思ったのだが、結局どうにもならず、練習の日になってしまった。

 彼らの言った部室というのは、牧田君が通っていた、江古田にある武蔵大学のムードミュージック研究会の部室である。スティックも持たずに現れた私を見て彼らは呆れつつも、どこからかスティックを調達してきてくれたが、曲をやってみて全く出来ていない私を見て、こう言ったのだ。「お前にはドラムの才能が無い。だから違う楽器にした方が良い。」さぁ困った。意気込んでやってみたものの、全く出来ないのだから、話にならない。やはり自分にはドラムの才能は無いのだ、と考えざるを得ない。すると芋生君が私に「お前、フルートやれへんか?」と言った。「フルート!?」と私は面食らったが、続きは次回に。

2003/10/13 戻る